最後のお稽古

息子がもう少し大きくなるまでお稽古を休むことにしました。

 

メロディーよりリズムが大切との事。

音を外しても「外したんだな」と思うくらいだけど、リズムは外せは外すほど掴みどころが無くなって不快感が増す。

ダウンビートという言葉を習う。

リズムが落ちる所を掴む事が大事。

 

りんご節も、♪ドン トト ドン トト♪のリズムの繰り返しで、ドンでリズムが落ちる。

その落ちる所が前撥になる。

でも厳密にそれに縛られるのではなくて、落ちる所を掴んでリズムキープして、感覚で後撥にしたほうがいい所は後撥で叩く。

 

撥捌きも大事。

後の方で叩けば誰でもそこそこの音は出る。

前に戻ってくる事が大事で、後撥の位置も後になりすぎないように気をつける。

叩いた後も、ジャランと撥先が滑って行かないように気をつけて、ピタッと皮に付けるよう意識する。

肩甲骨から腕全体をひねってみぞおちにパンチするイメージ。

それに手首のスナップを合わせて皮まで叩き切る。

疲れてくると手首が開いて来るので気をつける。

でも腕も手首も力を入れない。

皮に付ける時だけしっかり意識して止める。

 

これから自主練だけになるけど、撥付けとリズムキープの練習を中心にやっていく。

ピッチはその後。

お稽古

お稽古事の記録もします。

 

撥を寝かせ過ぎても立てすぎてもいけない。

撥を自分の方に向ける。

肘を伸ばす動きに合わせて撥先を持って行く。

手首には力を入れないけど、しっかり持ち上げて落とす。

肘の動き、手首のスナップのタイミングを合わせる。

🎵ダダン🎵はボールを投げつけるイメージ。

左手は爪を立てるのは3の糸だけ。他はしっかり指の腹で押さえる。指板の方に下からボールを握り混むイメージ。

🎵タラタラタン🎵のラを前のめり、走る感じで。タラッタラッタンみたいに。

夫が腹立つ

夕べ、息子に寝しなのミルクをあげている最中に、夫から「また靴下落ちてたよ」と言われた。

風呂掃除で濡れた足が乾くまで置いてあっただけなのでそれを伝えると「俺、息子にも言っちゃうかもな」と言われた。

その前に私のリュックにつまずいたと大袈裟に痛がられた。

おそらく、私が風呂上がりの息子に服を着せて授乳している最中に夫が洗い物やミルトンの入れ替え等するのが習慣化していて、外出から帰ってきて息子の世話をする為にとりあえず置いた荷物の場所や、入浴の為に急いで脱衣所から取り込んだ洗濯物が山積みになっていたのが、自分の親であれば許さない光景だから腹が立ったのだろう。

たまの休みにこんな片付けさせられて(頼んでない)その上あれ取ってこれ取ってと頼まれる事が許せなかったのだろう。

彼は部下や店員、目下の人間の無礼を許さないタイプだ。心の奥底で私を見下している。

 

寒くなってきて、靴下はまたはきたいと思っていたけれど、靴下の脱ぎっぱなしの指摘は基本的には反省すべきなので、それをまたはくのも嫌みだから洗濯カゴ行きにしたけれど、夕べの夫は私に何かと物申したいようだった。

 

「ロースカツ用の肉を焼いたの食べたい。うちの実家で食べたでしょ?あれ旨いんだ。昔から大好きなんだよ」

このタイミングでおふくろの味を要求するのが、この機会に言っておこうという感じがして許せなくなった。

下味も付けずバターで焼いてただ塩コショウしただけ。さして私は旨いと思わなかった。

もっと豪快に量を食わせろという要求と受け取った。

量は工夫しよう。

ただ当面、トンテキだけは絶対作るもんか、作ってたまるかと思った。

 

寝支度を始めた夫が、私が離乳食用に煮ていたリンゴの鍋を冷蔵庫に入れていない事を指摘した。

どうせもう一度湯がこうと思っていたからだったけど、火を通しても置いておけば腐るという。

再加熱が有効かどうかはもうどうでもよく、私はとにかく私に不満で何か言いたい夫が許せなくなった。

「じゃあ捨てるよ」

と言うと、怒った?と聞いてきて、夫は洗い物を始め、リンゴの鍋を冷蔵庫にしまった。

 

私は腹の虫が収まらなかった。

風呂に入っても苛立ち、湯船を蹴った。

上がって、床を殴った。クッションも投げて殴った。

夫も息子も起きなかった。

それから次の日の味噌汁を作った。DM等の古紙をかたづけ、リンゴを冷蔵庫から取り出して捨て、洗い物をし、シンクを磨いた。

夜の2時になってた。

 

もう離乳食なんか作りたくない。

 

大人の食事を作る合間に作ってるんだ。

 

「授乳 アルコール」で検索した。

結局飲まなかった。

 

今日はお稽古で外に一人で出て、すごく久々に化粧して大きい街を一人で歩いて、自然としゃんと背筋が伸びた。

カフェでカフェイン気にせずアメリカンコーヒーチョコクロワッサンを食べた。

お稽古、大して弾けなくて情けない思いをした。

産前産後のブランクと、普段練習なんてできないせい。

通わせていただいているだけありがたいと思わなきゃいけないんだろうか。

 

本当はもっとブラブラしていたいけど、夕食の支度があるから帰路についてる。

帰ったら、子供が泣こうがわめこうが、手洗いをして、荷物を先に邪魔にならないように片付けて、洗濯物、まだ着るものを然るべき所にやって、飯の支度をして、夫と同じスピードで食べて洗濯物を畳んで仕舞ってミルトン代えるところまで、テレビ観てからやればいいじゃんと言われてもやる。洗い物は夫がやりたいらしい。やりたい量だけやりたいってどうなの?なら勝手にその量調整してよ。そのままにしてれば私やるんだから。

でも風呂掃除はしない。夫にやってもらう。くつ下脱がなきゃいけないから。夫は裸足でいいかも知れないけど、私は冷えるからまたはきたいし。

新しい離乳食、作る気が起きない。買いたい。

 

なるべく手作りした方が経済的って言うならお前がやれよと思う。

あと、排卵痛みたいなのを調べたいと思ってて、場合によってはピル呑みたいと言ったら、何か体に悪そうだからやめてほしいとか。

どんだけ痛いか知りもしないで。

子宮内膜症を今疑ってるけど、もしピルがベストという事になったら絶対呑む。

 

もう家に着く。お惣菜買って帰る。

 

またさんざんからかわれるんだ。今正直ウザい。

長男が7ヶ月になりました。

長女の死産から時が経ち、長男が生まれ、昨日7ヶ月をむかえました。

このブログは死産の後にその気持ちを綴る為に立ち上げようとしたものですが、違う所にブログを作った為、放置しておりました。

その後長男が生まれ、その何気ない成長記録など、その別にある死産のブログや、SNSの天使ママアカウントに書くわけにいかず、このブログを活用する事にしました。

復職4日目

死産して2ヶ月の産休を終え、仕事に復帰し、4日経ちました。
これといって大きな混乱はないのですが、日々いろんなことを思い、それをあまり人には言えないので、ブログに綴る事にしました。

出社するにあたり何かとんでもないことを言われるのではないかと警戒しましたが、杞憂でした。
身体を心配されるだけで、余計な事は聞かれず助かりました。

義父と義母には悲劇のヒロインになっていない事を誉められましたが、我が子の心拍の停止が発覚した初日に私を支えてくれた夫が、翌日にはすっかり弱ってしまったのを見て、この人を残して私が消えるわけにいかないし、子供と共に夫まで亡くしてしまうわけにいかないと思う事ができたからでした。

それから2ヶ月ちょっとが経過し、火葬したり納骨したり、いろんな事がありましたが、親や義理の親以外にそうそう言えるものでもないので、できるだけ柔らかくて暖かい印象の思い出として心に留めるようにはしています。

私は予定日はあと2ヶ月といった時期にこうなったので死産を知られていて、2人の方に流産の経験を告白されました。
隠しているだけで、悲しい経験をされている方はたくさんいるのでしょう。
不幸を知られていると心配かけないように振る舞ったり、何か言われるんじゃないかと警戒してしまいますが、今のところたくさん配慮してもらっているので助かっています。
誰にも知られず悲しみを抱えている方はどれほどの孤独の中にいるのか、想像もつきません。

だいぶ大きくなってからだから辛いだろうと義父に心配されましたが、悲しみに週数は関係ないのでしょう。

私たちは恵まれています。
我が子の顔が見られて、抱っこできたのですから。